日本国内で唯一生産の内貫入ガラスと萩笠山の玄武岩を使ったガラス工房です。
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工房の日々:8
製品彫り込み 受付開始!
2009年03月31日

お客様の熱いご要望に応えて!!
ご希望デザインにあわせてペーパーウエイト等で、彫り込みが可能になりました♪



内ヒビガラス販売開始!
2009年02月23日

長らくお待たせいたしました。内ヒビガラスの販売を開始いたしました!

 

萩藩の硝子職人の招聘
2007年07月05日

萩藩で硝子製造所が開設されたのは万延元年(1860)です。その前年の安政6年(1859)萩藩士中島治平により殖産振興を目的とした建白書が認められ、麻布の江戸藩邸にて藩主自ら江戸硝子の名工と言われていた西宮留次郎と面談しています。同年8月になって、西宮留次郎と彼の弟子である大坂の長蔵が萩に着ています。

萩にあった佐々木小次郎の墓?
2007年06月30日
萩市内から県道14号線で20分、国道315号線へ出る手前、萩市・阿武町福賀で佐々木小次郎の墓の標識に出会った。
標識標識2標識3
周辺地図
慶長17年(1612)4月13日あの宮本武蔵と巌流島での決闘で敗れた佐々木小次郎なのであろうか? 興味半分、案内に沿って行って見ると確かに墓らしきものと説明板があった。
佐々木小次郎の墓看板
墓の下部には確かに『佐々木古志らう』の刻みが読み取れた。

そばにはキリシタンの六面石憧(バテレン墓)1基があり、説明板のとおりであれば、それなりに納得せざるを得ない。

 しかしながら、よく読んでいくと物語としては面白いものの、あくまでも言い伝えの風評であることに気付いた。その根拠は実に曖昧で史実に乏しい。勿論、未だ史実が見つかっていないだけなのだと言えばそれまでなのだが・・・・・。しかし、このような大きな看板が堂々と出てくるとなると、多くの歴史家にとっては何ら史料の無い耐え難い風聞であったとしても、一般の人々には単なる言い伝えが次第に事実となってくることになるのであろう。まあ、あまり目くじらを立てずに、これも町おこしのネタの一つになるのだろうと単純に思うことにすれば、皆が幸せになれるのかもしれない?と考えることにした。合掌。
〜萩藩での朝鮮漂着民供養墓を確認〜
2007年06月25日

江戸末期萩藩で硝子製造所を設立したのは中島治平である。彼はもともと朝鮮通詞の家系であるにもかかわらず、何故に硝子を手がけるに至ったのか? 萩藩では何故に朝鮮通詞なる役職を設けていたのか?・・・・・・
(一般には長州藩と呼ばれているが正確には本家である萩藩と分家筋の支藩に分かれており、毛利家全体の総称が長州藩)
当時、朝鮮通詞を置いていたのは対馬藩と萩藩のみと聞くに及んで、更なる興味を抱き続けていた。


6月24日萩市江崎下田万湊地区に残る朝鮮漂着民の供養墓を地元の人の案内でやっと確認できた。


墓の台座には 朝鮮人 俗名 チョンガエ、レンカア、カレカへア、ワレガアへ、イゝガアへ、トイゝガアへの6人の名前と 文化12亥(1815)12月5日 施主 下田万村中 と彫りこまれていた。



村人の話ではこの日、難破船の乗組員3人と溺死体が5体(1体は行方不明)漂着してきたので哀れに思い供養墓を建てて以後190年を経てもずーと地元で供養を続けているとのことであった。 地元民の温かい気持ちは今なお引き継がれている。当時、すでに朝鮮人の氏名・出身地を把握できていたということは萩藩に言葉をきちんと理解する通詞が居たためである。
(毛利家文庫『公儀事諸控』山口県文書館所蔵)
この時の朝鮮通詞は中島治平の祖父の治助である。中島家はそのときどきの通詞として代々活躍してきたなかで朝鮮漂着民について多くの記録を残している。

江戸時代、徳川幕府は琉球国と朝鮮国のみを通信国(よしみを通わす国)として友好関係を築いていた。中でも特に、江戸への朝鮮通信使は良く知られている話である。(オランダと中国は政経分離の通商国であり、それ以外は鎖国していた)
もしも、この通信国に対する扱で幕府から難題を突きつけられたなら外様大名の萩藩としては大変なことになるわけであり、このため幕府のお触れに背くことの無いよう、朝鮮からの遭難者に対しての救助体制を設けて、長崎の外国奉行と対馬藩を経由して本国への送還業務を最重要課題としていたのである。

中島治平の時代になり、家業の長崎への朝鮮人送還業務を続ける中で彼は3年間の長崎留学の許可を取り、その滞在中、蘭学や英語を習得しながら、特に西洋の理化学、硝子、写真、鉄鋼、医学等に興味を持つようになっていった。そうして萩に帰国後の安政6年(1859)にはいち早く萩藩政府に対し、将来の産業奨励を目的とした硝子製造所設立の建白書を提出している。治平のこの提案は翌、万延元年(1860)には藩主敬親に認められ、藩主の自奉金80貫目(注:銀60匁≒1両とすると1333両。現在の価値が1両≒10万円であれば1億3300万円?)をもって、江戸や大坂の職人を招聘し萩城下・南園で同年8月に念願の硝子製造所を開設するに至った。(続く)

土日のガラス体験教室 大盛況
2007年06月23日

土日の工房は体験教室のお客様でいっぱいとなります。

ご予約はお電話でお待ちしています。

電話 0838−26−2555
ドイツの交換留学生
2007年06月11日
6月11日ドイツの高校生達がアクセサリーつくりやガラス彫刻のガラス体験にやってきました。
ドイツの交換留学生
ガラス彫刻の様子

萩ガラス体験教室はこちら≫
萩大茶会
2007年05月01日

5月3日・4日のゴールデンウィークに萩大茶会が開催されます。
萩ガラスの器は遠州流萩支部でご利用いただけます。場所は志都岐山神社社務所横の大テントになります。

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